2021-06-14 第204回国会 参議院 内閣委員会 第27号
また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。資料館では、中国や韓国を始め各国との交流も展示してあり、外国の人々について、友と記されてありました。平和の文化の構築に向けた取組や戦争証言集の刊行など、私は大変深い感銘を受けました。
また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。資料館では、中国や韓国を始め各国との交流も展示してあり、外国の人々について、友と記されてありました。平和の文化の構築に向けた取組や戦争証言集の刊行など、私は大変深い感銘を受けました。
その後、在イラクの日本大使館勤務時代にイラン・イラク戦争というものに巻き込まれまして、その戦時下で、イランから大量のスカッドBというミサイルの攻撃にさらされて、隣でミサイルが爆発して、本当に生々しい、想像を絶するような戦争体験をやって、そして一年間戦時下の中で逃げ惑ったような体験を持っているわけですね。
この観点から、ちょうど一九九〇年代の中頃ぐらいから、いわゆる戦争体験を持った世代の方々がだんだん少なくなってきて、戦争体験に基づく反戦平和論というものがその勢いを失い始めた頃から、自民党の中では、小渕内閣で、この反戦平和論を継承する新しい未来志向の強靱な平和主義として人間の安全保障という考え方を組み立てて、それをもってまず我が国の平和主義を実践する政策概念として位置付けました。
本当にこういった地域地域によっても戦争体験というものは全く違ったような様相を見せておりますし、もちろん、語り部の方も本当に少なくなっている地域もあるかと思いますけれども、是非これから地域における戦傷病そして戦災の語り部育成というものを重視していただきたいんですけれども、まだまだ予算措置というもの、まだ薄いかなと思っておりますが、大臣、その辺り、充実するお考えございませんでしょうか、お願いいたします。
私自身は、戦後生まれでございますので戦争体験はありません。多くのここにいらっしゃる皆さんがほとんど戦争体験はないと思います。とりわけ、国会でも七百を超える議員がおられますが、恐らく何十人、五、六十人ぐらいしか、一割にも満たない方しか実際の戦前生まれという方はいらっしゃらない。そんな中で、私は、非常に今想像力が全体として欠如している、そういった危機感を持っております。
その理由もたくさん申し上げたいことがございますが、時間の制限がありますからこれでやめますが、どうか一つだけお願い申し上げたいことは、国会議員の皆さんは戦争体験を知らない方々もたくさんいますけれども、沖縄戦とは何だったのか、そして沖縄戦がどうして戦われたのか。
そのときに町会の婦人の皆さんや町会議員の皆さんが泡盛を持ってきてくれて、三線も弾いてくれて、同時に戦争体験を聞いたりして、私はそのときに沖縄の置かれた立場というのを勉強しました。 そういう中で、私も長いこと自由民主党に所属しておったんですけれども、自由民主党の場合も小渕元総理だとかあるいは当時の首脳部は非常に沖縄にも理解が深くて、東京以外のサミットを初めて沖縄でやると。
ただ、戦争体験と、それからやはり占領時の一種の情報コントロールのせいで、国民は、憲法九条にさわることについて感情的な反発を持ってしまっている。だから、これを和らげるために、まずは、国民にショックの少ない、新しい人権とかそういうところから改憲のプラクティスを、練習をしてということを私自身申し上げた記憶があるし、かつ、そういう発言にくみしたことはあります。
それだけ戦争体験が大きな傷痕を残したとも言えますが、それを自らの権利として世界に主張し続ける時代はもう終わっているのではないでしょうか。憲法を改正することは戦争をするという意味ではありません。非現実的な主張ではなく、現実的に戦争を起こさないことを考えるべきであります。 今申し上げましたように、日本国憲法は西洋の思想や宗教を背景に作られたものであります。
本島中部の読谷、北谷海岸から一斉に上陸し、水平線が米軍の船で真っ黒だったという戦争体験者の話にもあるとおり、上陸部隊だけでも十八万三千人余りという兵力を投入して、日本の軍隊、兵士のみならず、沖縄の住民も犠牲となった戦火が繰り広げられていきます。
全国戦没者追悼式は、国を挙げて御遺族とともに戦没者に哀悼をささげるというのは、これはもちろんのことでありますけれども、それだけではなくて、戦争体験者に直接接する機会も減りがちな若い世代に対して、戦争の記憶を受け継ぐ機会として、私は国費での参列者枠をもっと柔軟にして、また、かつ増やすべきと考えていますけれども、大臣の御所見を伺いたいと思います。
最後に、私の戦争体験を同封します。これを読んで安倍首相の意見をお聞かせくださいということで、これは名護市の辺野古にお住まいの島袋文子さんが昨日私に託したお手紙で、安倍首相に対しては別紙、また戦場体験をされた冊子を同封してお渡しをしております。
なぜ低いかといえば、やはりその時期の世代の人たちがあの沖縄戦で大きな犠牲になり、ちょうど七十歳が戦争体験ゼロ歳児ですから、戦争の最中に生まれて、今、沖縄では、戦後七十年、ゼロ歳児が戦争体験を語る、そういう運動が起こっております。 そういう戦争の影響で前期高齢者の加入率が低くなっている、この認識は共有できると思うんですが、いかがですか。
日本国憲法への理解も、その制定に至る日本の歴史への理解と一体のものとされるべきで、歴史の真実、戦争体験、被爆体験をしっかり継承すること、そのための教育も極めて重要だということです。 来年は、戦後七十周年、広島・長崎被爆七十周年です。 歴史は、消し去ったりつくり変えることは決してできません。しかし、正面から向き合うことはできます。
また、戦争体験者の先輩方の意見を聞くという、そういう我々にも謙虚な姿勢が必要だと思います。 また、ガルブレイスですね、経済で有名な。アメリカ、ガルブレイスも、実は「悪意なき欺瞞」、悪意はないんだけれどもおかしい方向に行ってしまう、だますようになってしまう、こういうことを二〇〇四年の著書で、「悪意なき欺瞞」として軍産複合体に対して同じように警鐘を鳴らしているんです。
私が街頭演説をしているときに戦争体験者の方が来られまして、私に対して、あなたたち政治家はほとんどが戦後生まれだ、戦争を知らない世代だ、総理の話や委員会での議論を聞いていると、戦争の悲惨さや残酷さを知らないで議論しているようで非常に怖さを感じる、戦争を知っている我々の世代はもちろん、将来血を流すかもしれない若者にももっと意見を聞くべきではないか、どうしてそんなに急いで決めるのか、そういうことを私におっしゃいました
戦後六十九年が経過し、学校の教員では戦争体験者やまた戦後の体験者がいないこともあり、現地へ行って実際に体験をした方の話を聞くことは、子供たちの心に強く残っていくようであります。 また、子供たちが自分の学校に愛着と誇りが持てるように、各小学校の創意工夫を生かした教育活動を支援する輝く学校づくり事業を実施をしております。
○国務大臣(山本一太君) 今、藤末委員の方から御指摘ありましたが、悲惨な沖縄戦の実相とかあるいは教訓を継承するために、沖縄においては、県が平和祈念資料館を設立するとともに、民間においても今言及のあったひめゆり平和祈念資料館あるいは対馬丸記念館等が設立されておりまして、それぞれの資料の保管、展示、戦争体験者による語り伝え、証言映像の放映などが行われております。委員も御存じだと思います。
今、藤末委員のおっしゃった悲惨な沖縄戦の実相、教訓を継承するために県立平和祈念資料館、あるいはひめゆり平和祈念資料館、各市町村において、戦争体験をした方々からその体験や証言を聞き取り、映像や文章に残し、次世代に継承する取組というものを行っております。これは御存じだと思います。
それでも、育ててくれた祖父、祖父を通じた戦争体験、私の中に何かを祖父が植えつけてくれて、私も靖国神社には昔からお参りをするということであります。 そして、この靖国神社に参るというのは、総理も含めて、私もそうですが、何も外国から何だかんだと言われる筋合いのものでは本来はないというふうに思います。
私の祖父が昭和二年生まれの戦争体験者で、幼少のときから戦争の話を聞かされて育ってきて、大学時代、大学院と、戦争に対する興味から外交、安全保障の勉強をしてみようと思いまして、大学院まで外交あるいは安全保障の研究を重ねてまいりました。その中で、沖縄が日本の安全保障あるいは外交において非常に重要な地理的要件や政治的背景を持っている地域だということを身にしみて思ってきた次第であります。